1-3) 死ぬ準備をする

死ぬのに心残りは?

今まで私は、そんなにたくさんのお葬式に出たことがありません。

でも、お葬式は1回です。何回もしつこくやることはありません。

その人とのお別れを惜しむ、たった1回の儀式です。

もしかしたら「アイツ、やっとついに、くたばりやがった、ヘッ」と思っている敵も参列しているかもしれないけれども、まあ長年生きていれば、普通の頑固じいさんばあさんなら敵の一人や二人いて当たり前だし、大物有名人なら何十人何百人、国を動かす独裁者なら何万人の敵が「やっと死んでくれた、万歳」ってひそかに喜ぶ、それがお葬式です。

そして、どんな人でも、1回死んだら終わりです。何万人に恨まれている独裁者であろうとも、何度も生き返って、また刺され、また撃たれるということもありません。「くそー!俺が撃ちたかったー!」と思っている敵が、何万人まとめて地団駄踏んでも、死ぬのはたった1回で終わりです。

そして、どんな有名人、どんな独裁者とも平等に、あなたの葬式も1回、私の葬式も1回だけ行われます。

お香典がいくら集まり、電報も何通集まるかわかりませんが、故人は見ませんし知りません。私のお香典、私の弔電は私の責任の範囲外です。「勝手にやってくれ」でいいのです。

どうでしょう?楽になりませんか?まだまだかな?

とにかく、死ぬときはやってくる、1回だけ、それは事実です。

明日かもしれないし、今日かもしれない。

「今日死んだら、今日から永遠に皿を洗わなくていいんだ、うれしいなあ」と私は常々言っています。←そんなに家事が大嫌いな人が、城南ママサポート、これはなんというブラックジョークでしょう。

そんなに、イヤなことがいっぱいの人生なのだから、イヤな事から解放される「死」も、一つの楽しみにしたらいいのです。

「死」を明確にイメージして生きていると、「どうせ死ぬまでの暇つぶし」って、人生を少し楽にとらえる、それができたら、とても軽くなると思います。

でも、死ぬのが怖いですか?

このままでは死ねない、と思う、自分にとってやり残したことがありますか?

私、22歳にして「東大に入れ入れという親と教師の圧力で、10代遊べなかった!」そのことが、このまま死ねない心残りだと気づいたので、東大を出てストレートで無職になり、思う存分22歳から28歳まで遊んだんです。読書、旅行、恋愛。スケジュールに縛られない生活。楽しかったー。

その後、28歳から33歳までで子供を5人産んで、35歳から「いつ死んでもいいな」と思って、ずーっと人生を「余生、おまけ」と思って生きています。

人生損した感もないんです。22歳から28歳まで遊べたことと、子どもを6人授かったことで、自分の人生の意義は十分あったと思っています。

「東大に入ったんだから、社会的な成功を目指せばよかったのではないですか」といくら聞かれても、「それは親が親の価値観で私に勧めた事ですが、私の気持ちとは違ったので、方向転換したので、逆にそちらには何の未練もありません。むしろ、東大を出て面白くないデスクワークして、嫌な上司に怒られている同窓生たちが可哀想だと思っています。」と、堂々と答えることができます。

ですので、読者のみなさまも、あなたの心だけに従って「今死ぬとしたら、心残りは何なのかな?」と自分に問いかけてみてください。日記に書いてみるのもいいと思います。

心残りが、どんなことであろうと、死ぬ前にやっておきたいことがどんなことであろうと、他人がバカにしたり評価する筋合いはありません。あなたの中に心残りがあって死にたくないなら、その気持ちを大切にして、生きているうちに実現しましょう!!