1-3) 死ぬ準備をする

誰かが泣いてる姿

自分の葬式を、具体的にイメージしてみます。

私は奇想天外な人間ですが、どうせ遺言で奇想天外な葬式をしてくれとか書いても、遺族が変な世間体にこだわるに決まってるから、実現しません。

普通の葬儀屋さんが来て、普通のお葬式を滞りなく行ってくれることでしょう。

普通に無難な弔電とかもちらほら来るでしょうし、普通の弔問客も、社会的な付き合いの範囲で来るでしょう。

特に何の変哲もない、普通の社会、普通の儀式。

しかし、その中で「心から、私のために、私との別れを悲しんで泣いてくれる人」も何人かはいる。いや、一人でもいいです。いてくれて、その人に幽霊の私が「さよなら」って一言言えれば、葬式はそれでいいです。

「心から私との別れを惜しんでくれる人なんて、もしかしたら一人もいないんじゃないだろうか・・・?」と、メンタル弱っているときには、そんな風に思えてしまうのではないでしょうか?

自分が大嫌いになってしまって、自分が無価値に思えてしまう、それが心の病気なんですね。本当は、そんな事は無いはずなのに・・・。

今まで、私の友人知人で若くして亡くなってしまって、突然お葬式に呼ばれて、驚いた、ということも何回もあったんです。生前には十分な深い付き合いが出来なくて、亡くなられたことで、いかに仕事三昧だったのか、いかにその人が焦っていて社会関係を絶っていたのか、初めて知ったということも多々ありました。

そういう、「もっとお付き合いして詳しくお話が聞ければよかったな」という人たちのことも、私の心の中にずっと残っていますし、その方々のためにお葬式では私は心から涙を流したことももちろんです。

あなたの友人知人の範囲にも、あなたが全然気づいていないけれども良い友達になれるはずの人、お葬式があったら泣いてくれるはずの人がいるのです。

そういう人と生前に交流しておかない事はもったいないことだし、もちろん生前の交流がなかったのにお葬式だけでその人たちが泣いてくれることも美しいことではあるけれども、せっかくだったら、生きている今のうちに目を向けて、色々なお話をしたらいいじゃないですか。

私は自分の葬式を何度となくイメージして「ママー!ママー!ママー!」と泣き叫ぶ子供たちの姿が想像できて、自分の目に涙が浮かんでしまいました。暴漢に刺されて不可抗力で亡くなったりする場合はどうしようもないけれども、少なくとも、自分から命を粗末にして寿命を縮めるようなことはしてはならないな、いただいている命は全うしていかなければ、と思ったのです。

誰かが私のために泣いている、もっと話したかった、もっと一緒に過ごしたかったと思っているお葬式を想像してみてください。

どうせ、誰かといくら話しても話したりないし、いくら楽しい時を過ごしても、いつかはお葬式はやってくるのです。最終的には「ごめんねー先にいきまーす、さようなら!」という瞬間はあるのだけれども、せっかく生きているのだから、その瞬間までは、楽しいことも嫌なことも、ああでもないこうでもないと言い合いながら生きていきたい。

自分の葬式をちらっと見ている幽霊の自分が「結構楽しいこともあったな。さて、これからは皿を洗わなくていいし朝も早起きしなくていい、これまた上等。さあ、これからは生きてる皆さん頑張ってください」と、思えるぐらいだといいなと思います。

心残りがあったら「もっと生きたかったー!なんで俺は死ななきゃならないんだ!なんであいつら生きてるんだー!」と、自分の葬式が恨めしい幽霊になっちゃうと思います。

まあ、恨みが残っている人がほとんどだから、伝説の幽霊は「うらめしやー」なんですね。

一つでも二つでも、「幽霊の恨みを解消していくかー」って気持ちで、リストアップしてみるのもいいと思います。