母ではなかった頃

あまり言いたくないのですが、私は東大の法学部卒です。

「25年前に行われたテストで正しい答えを多く書いたのであるが、そのテストの紙はもう燃やされてしまっているし、今ここにいるおばさんとは何の関係もない」と、皆さんにお話ししています。

今、お弁当屋さんでパートしてもお釣りを間違えたりしているので、「東大卒のくせに~」などと言われたくないので、できるだけ必要のないところで経歴は言わないようにしていますが・・・。

25年前に東大に受かっていても、今は40代の年相応に物忘れと戦っております!それは他の東大出の人も、全く同じです。

学歴があるからと言って神様になるわけでも何でもないので、そこは、東大に行ってリアル東大生たちと接したことで、変に学歴コンプレックスを持たないですむようになりました。

さて、この写真は、東大の学園祭の模擬裁判で「お母さん」を演じた時の写真です。当時20歳ですが、既に母の緑のスーツを借りてお母さんの風格があったねと言われました。

この裁判劇で、いじめ自殺で息子を亡くしたお母さんを演じて、「子供を亡くすことが一番つらい。生きてさえいてくれれば、十分親孝行なのだ」ということを痛感しました。

それで、時を経て、子供たちの母になっても「ずいぶん甘いやさしいお母さんだね」と言われることが多いです。

生きていてくれればいい・・・。今日も生きていてくれた・・・。ありがたい!

毎日そう思える体験ができたというのは、得難い経験でした。

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